1
/
5
This page is intended for users in India. Go to the page for users in United States.

インターネットとともに歩んできた20年とこれから

インターネットとの出会い

今から20年以上前のことです。あのWindows95が社会現象となった時代でした。当時の僕は高校生で、パソコンと言えばWord とマインスイーパ?くらいの認識だったので、Windows95に世間が盛り上がってる理由もよくわかりませんでした。ただ、たまに先生が授業でプログラミングの話をしてくれたことがあったのですが、そのときになぜか異常にテンションが上がりまして(笑)プリントで配布されたソースコードを見るのがすごく好きだったんです。とはいえ、実家にパソコンがなかったので、興味はありつつもコンピューターに触れることはなく、高校を卒業。大学は文系に進みました。

そんな僕がインターネットの世界に引き込まれたのは、入学当初に出会ったヲタクっぽい友達(というかヲタクだった)に、大学の計算機センターに連れて行ってもらったことがきっかけでした。そこで初めて、Yahoo!のトップページを開いたんですが、人生が変わったと言っても過言ではないレベルの衝撃を受けました。画面上のあちこちにリンクがあり、クリックしたら別のページに飛べるんです。「大変だ!これは世の中がすべて変わってしまう!」と思いましたね。実は、その頃の僕は、志望大学に行けなかったことで、ひどく落ち込んでいたのですが、もうそんなことはどうでもよくなり、むしろ文系大学に入ってしまったことをひたすら後悔しました。それから両親にお願いして、ようやく大学の生協で人生初めてのパソコンを購入しました。本当に嬉しかったですね。当時のインターネットは従量制課金接続だったのですが、夢中のあまり初月の請求代が15万くらいになってしまって、さすがに親にキレられました(笑)こうして、あっという間にインターネットの世界に魅了され、この仕組み作った人たちをもっと知りたいと思い、3年生の時に天文データベースをやっていた教授のゼミに入り、プログラミングを学びました。エリック・レイモンドの『伽藍とバザール』を読んでOSSの素晴らしい文化について学んだのはいい思い出です。

新卒で大手に入社、エンジニアは強いと知る

その後、唯一エンジニアとして内定を貰えた日立ソフトウェアエンジニアリング株式会社に新卒で入社。インターネットビジネス推進部と言う非常に活気のある部署に配属が決まりました。私自身は、その部署にいながら社内SEのような形で、社内の情報管理システムや採用サイトのWebシステムの開発を担当。Web システムについては、知識ゼロの状態から運用を始めたことや、周りに優秀なエンジニアが多かったこともあり、プレッシャーが半端じゃなかったのですが、そこで揉まれ、修行のような毎日を経たおかげで3年程でWebアプリは自分で書けるようになりました。その後は、FeliCa(電子マネー)に関するシステムや銀行システムの運用などに携わりました。この頃のプロジェクトでは、上司がめちゃくちゃ厳しい人で、毎晩金縛りに悩まされるという、業務以外の壁にもぶち当たっていました(笑)当時は、全然笑えませんでしたが、そこで技術面も精神面も鍛えられたなと思っています。

その後、2008年にインターネットプロバイダ向けのクラウドWebメールシステムに海外の開発会社のグループウェアを導入するプロジェクトに参画。この頃はプログラムを書くことがほとんどなくなっており、技術サポートや要件定義やカスタマーサクセスなどを行なっていました。そんな中、出張でアメリカのシリコンバレーに行く機会がありました。出張の目的は、ISPの機能要件を製品に取り込んでもらうよう現地のエンジニアやプロダクトマネジャーと交渉することでした。このときは、交渉は難航しないだろうと考えていたのですが、大きな間違いでしたね。現地のエンジニアは非常に強かった。機能要件が「なぜ」必要なのかということについて延々とエンジニアと議論を交わし、特に実際にコードを書いているエンジニアとも話す機会をつくってもらったのですが、彼らも「なぜ」その要件が必要なのかを執拗に聞いてきて、簡単には首を縦にふりませんでした。

この体験から「プロダクト/サービスを開発している会社は強い。特にエンジニアは強い。」という印象を持つようになりました。そして、自分はこのまま新しい技術も身につけず、プロジェクトマネジャーとしてのキャリアパスを目指していていいのだろうかと思い始めたんです。そんなキャリアについて悶々と考えていたちょうどそのタイミングで、前に登録していた転職エージェントからソーシャルゲームの会社、株式会社Cygamesを紹介をされました。その頃は、ちょうどソーシャルゲームが伸び始めていたときだったのですが、その会社はあり得ないほどの業績をあげていて、エンジニアも優秀なメンバーばかりという話で、エンジニアとして技術を磨くいいチャンスなんじゃないかと思いますた。なにより自分がゲームが好きということもあったので、思い切って転職を決意しました。

仕事とゲームにのめり込んだCygames時代

入社初日に、上司の役員の方から「三木さんは、絶対にサーバーを落とさないでください。」とだけ言われ、チームに入りました。なんてわかりやすい指示なんだと思いましたね(笑)僕が配属されたのは 「神撃のバハムート」の海外版”Rage of Bahamut” を開発しているチームで、その頃は、まだローンチしたばかりでした。

当時の僕は、サーバーの負荷対策についての知識はあまりなく、何をすればいいのかさっぱりわからない状態だったので、日本版のエンジニアの先輩から学びながら、3ヶ月程このサーバー負荷の対策に明け暮れました。SNSで話題になる度にサーバー負荷でシステムが落ちるようになり、土日も問わず日夜負荷対策を続けることもありました。あまりの寝不足で、誤ってマスタDBのデータを消去してシステムを自ら3~4時間ストップしてしまうという事件もありまして(笑)そのときの、機会損失額にはさすがに怯えましたね。そんな過酷な日々もありましたが、気づけば自分もこのゲームのファンになっていて、プロダクトに対するオーナーシップのようなものを抱いていました。この会社は、会社の方針、働き方、組織の在り方など、何もかもが前職と180度異なる環境でした。メンバー全員が純粋にゲームが好きで、いいゲームを作りたいということにとことんフォーカスしている。仕事中もみんなゲームしていましたし、それが普通だったんです。他にもさまざまなプロジェクトへ主体的に参加していくようになり、社内で月間MVPとして表彰されたこともありました。サーバーを落としたのに、MVPを貰えるなんて思ってもいませんでした(笑)会社として自由なことも多かったですが、仕事的にはレベルも高く、かなりシビアな世界だったので、楽しくもあり、勉強になったこともたくさんありました。

その後もツール開発や負荷対応、日本版ゲームの海外ローカライズなどに携わりましたが、次第にもっと自分が興味のあるプロダクトの開発や社内で導入予定のない新しい技術を覚えてみたいと思い、会社を辞めました。

エンジニアとして経営者として視野が広がった

そこからまた、医療系のSNSの開発や別のゲーム会社の開発に携わりました。そして3年が経った頃、着物のリユース事業をやっているCTOに出会い、うちに来てくれないかと声をかけていただいたんです。そこには優秀な外国人エンジニアがいて、将来的にM&A事業も展開していく予定らしく、おもしろそうだったのですぐにOKしました。実際に働き始めたら、外国人エンジニアのスキルがかなり高くて、僕自身も技術を磨いてきたつもりでしたが、「これが世界基準か・・・」とカルチャーショックを受けました。本当に無駄のないプログラムだったので、開発がすごく楽で、こんなやり方があるのかと勉強になりました。仕事以外でも、メンバーはすごくフランクに接してくれて、「あれ?海外で働いてるっけ?」と思うくらい毎日が新鮮で、最高に充実していました。しかし、そんな平和な日々も長くは続かないものですね。入社して数ヶ月経った頃、入社きっかけにもなったM&A事業を本格的にスタートすることになったのですが、突然分社化すると言われたんです。僕は今まで通りリユース事業で、CTOと外国エンジニアは全員M&A事業の方に行ってしまって、私が入社した理由の2つがなくなった訳ですよ。平和な日々が永遠に続くと思っていたのに・・・。ベンチャーなので、こうゆう急な展開はよくあることですけどね。でも、「自分が本気になれない事業に取り組んでも成功確率は低いのではないか?」と相談した友人に言われ、その通りだと思いました。そして、自分の人生を生きようと決心し、退職しました。

これからやっていきたいこと

その後は、ITベンチャーに入社し、またそこでも荒波に揉まれながら、社内SNSの開発を1年半くらいやりました。その後、知り合いの社長にまたお誘いをいただき、株式会社タイムチケットに取締役CTOとして入社しました。入社を決めた理由は、純粋にスキルシェアリングって面白いなと思ったからです。今回はエンジニアではなく、経営者として入社したのですが、経営って難しいですね。いろいろありまして、まだ経営者として自分は未熟だなと痛感しました。結局半年程で辞めることになったんですが、普通にエンジニアをしていたら気づかなかった世界を見れた気がします。

今後やってみたいことはたくさんあります。こんなご時世になってしまったので、未来を見据えた事業に携わっていきたいなと思っています。息子がいるので、子どもたちに夢を与えるようなサービス・プロダクトか、子どもたちが安全・安心して暮らせる社会を作れるようなサービスに携わりたいです。

1 Likes
1 Likes