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50代の転身!グラフィックデザイナーから「正義の味方」へ!

…なんて、かっこいいことを書いてみました(笑)
今年度は、社会人35年目となる年。この依頼が来た時、社会人生の良き振り返りにもなるのでは、とペンを取った次第です。

私が学生の頃、そう、38年くらい前ですね、とても開放的でゆる〜い時代でした。(もしかしたら、私だけがそう思っていたのかもしれませんが…。)休講だ!となればすぐ海へ、夜は夜な夜な踊りにいく、好き勝手に生き、ある意味自堕落なバブル期の幕開けでした。

一方で、大卒女子がやっと市民権を得た時代でもありました。男女雇用機会均等法なるものができ、突如として大卒は男女問わず平等に扱われることになりました。入学当時は、どうせ大卒女子は就職口もない、と言われており、ほぼ諦めかけてた私に、突如降って沸いた仕事へのチャンス!急に、必死になりましたね、ホント(笑)若い皆さんには、きっと想像もつかないでしょう。今の若い方々は本当に真面目で前向きだと、講師や息子達を見ていても感じます。

なぜ、こんな話から?というと、私にとって仕事の変遷こそが、本格的な後天的人格形成の場、そう、人生のやる気スイッチを押してくれた場であったからです。

ピンチがチャンス!の繰り返し人生からの…

キャリアの始まりは、大手印刷会社のB to B営業でした。当時はまさにアナログの時代でしたので、入稿ゲラをもらいに出版社へ、そして、版下部門や印刷部門の工場に持ち込む。出張校正の小部屋で編集さんと打ち合わせる…毎日が新しいことの連続でした。

初ピンチは、見積書の数字を「一桁間違える事件」です。わたしは細かいことや見直しが苦手なのですね。先輩や会社に大迷惑と損失を与え、謝罪行脚で落ち込んでいた日々でしった。

しかし、このピンチかきっかけで、あるデザイナーと知り合うことになります。それが、デザインの現場に足を踏み入れるきっかけになり、転職を決意。仕事をしながら学校に通い、デザインを学びました。

当時は、DTP(デスクトップ パブリッシャー)の幕開けの頃、そもそも理系であったことも功を奏し、MacでのDTPスキルがあることを強みに、グラフィックデザイナーとして独り立ちしました。

その後、出版社、広告代理店、ゲームメーカーなどの制作現場を渡り歩き、デザイナーからクリエイティブディレクターとしてチームを率いて奔走する毎日でした。

また、子育てのまっただ中でもあり、今でもいつ食べていつ寝たのか、生活のディテールは全く思い出せないほど、あっという間の22年間を過ごしました。


↑仕事上がりのお楽しみも大切!仕事上手は切り替え上手であることを学びました。


ひょんなことから、運命の出会い...??

日々のトライ&エラーとPDCAを繰り返し、仕事も安定、子育てもひと段落、そんな風に落ち着いたのは40代でした。しかし、これがまた悪かったのですね。経験が邪魔をしたのか、新しい発想がどこからも生まれない。クリエイターとして、致命的な落とし穴に陥りました。そう、仕事人生2回目の大ピンチ。落ち込む日々でした。


↑40代は自転車でどこまでも!仕事も遊びも全力投球です。


そんな時、ある外資系アパレルの宣伝広報の募集があることを知り、私はとびつきました。クリエイティビティの喚起は、デザインの現場だけではない、経験を活かしコーポレート・アイデンティティに貢献を、と血が騒ぎました。

その会社は、いきなり管理部門に入ることはできず、現場を知ることから始めるレギュレーション。「お洋服屋さんとして、売り場に立つ」という、人生初のBtoCの仕事にトライしなければならない神様のいたずら。人生3回目のピンチに、恐怖すら感じたのを覚えています。

でもそこで、わたしのポジティブシンキングが喚起されます。せっかく「お初」をやるなら、もう一つ「お初」をやってみよう!と、副業をはじめたのが、個別指導学習塾の講師でした。教職資格は持っていたのですが、使ったことがなかったので、という単純な理由だけの挑戦。そのときの私は43歳。中年の決断です。

そう、ここで私は運命の出会いをするわけです。

外資系アパレルの売り場で、店舗マネージメントを学びながら、一方では生徒の成績マネージメントを行う、今思えば休みなしの1年間でした。売り場仕事はなかなかタフでしたが、一方の講師の仕事で子どもたちの笑顔に会うことでリセットすることができる。それはある意味発見でしたね。子育てがやっと落ち着いたというのに。初のBtoCサービスの現場は自身にとって新しい発見の連続でした。アパレルも教育も。

そして、その教育の現場には、なんともユニークな室長がいました。

その室長は、いつ見ても仕事している風じゃないのです。(今でも「柿ピーマネージメント」と笑い合うけれど)いつもなんかぽりぽり食べていて、子どもたちにはダジャレ攻撃、買い物帰りにフラッと寄った保護者と、ため口で立ち話。私が入室すると「あ、タミー!今日体験いれといたからね〜〜。よろしくね〜〜〜ん」と、キラーパスの連続。ホントに変な室長だったのですが、なんとも人懐っこく、不思議と講師からの絶大なる信頼がありました。その室長とは、年齢も近かったため、いろんな世間話をしたり、私自身の子どもの進路相談を引き受けてくれたりと、私もなぜか信頼度120%で、リスペクトしていました。

この室長を見ていると、「てんてこ舞い」と「空回り」の違いや、「リーダーたるもの」という固定観念から解き放たれました。「世界平和」と「人類皆兄弟」を本気で語っているこの室長に、自身の人生の岐路を見いだすことができましたし、「学習塾」という若干ブラックなイメージもすっかり払拭され、他者や自身の笑顔の為に「いい奴」でいればいいんだ、と力の抜けたことを覚えています。

そう、この室長こそが、スクールIE事業本部のIさんでした。


↑外資系アパレルのマネージャーだった頃。海辺の店舗でしっかり日焼けしてます。

ああ、これぞ転職...ではなく天職!

とはいえ、わたしの本職は外資系アパレルの社員。一旦は会社に戻り、そこで10年間勤め上げました。Iさんから学んだことは、アパレルの現場にも活かすことができたわけで、それはそれで、愉快でチャレンジングな10年でした。

その間も、Iさんとは断続的に交流を続け、いつかは一緒にまた仕事がしたい!と熱烈オファーを送っておりました。なんどもなんども断られましたが、わたしはそんなことではめげない精神力を身につけていたことを、Iさんは読み違えたのだと思います。

その粘り強い気力の甲斐あって、いまわたしはここにいます。

いまでも、わたしの人生に影響を与えた人のひとりとして、直接・間接含め、お仕事もご一緒させて頂いています。3回にわたる人生の危機を、最大のチャンスに活かせた自負が、わたしのこの転職…いえいえ天職人生を支えています。

「いい奴」と「世界平和」をご一緒に。

この8月でやっと3年目。あっという間でしたね。

子どもたちの笑顔とともに「いい奴」になれているだろうか、と日々自身に問いかけながらの日々です。確かに忙しい。ホントに忙しい。でも、教室にいると時間を忘れるほど、子どもたちが愛おしいと思います。

私たちの仕事は、「成績向上」ひいては「夢の実現」です。でも、やみくもに勉強をさせるだけもなく、講師の尻を叩くだけでもなく、自身にむやみに鞭打つことでもない、なかなか難易度は高いマネージメントです。それでも、生徒に寄り添い、講師の居場所に、保護者の相談所に、と奔走する日々が、心から充実していると笑顔でいえるのは、教室が「生き物」だからだと、最近は思います。

この流動的で喜怒哀楽のつまった教室を、「マネージメントする」。

そう書くと難しいことの様ですが、子どもたちへの愛情と、講師たちへの感謝、保護者の方のご心配に寄り添う気持ちがあれば、誰でもできる仕事だと、今は本気で思います。

時にはうまくいかないこともあります。よかれと思ったことで大失敗もあります。でもピンチはチャンス!やり直しはいくらでもきくと思います。


どうぞ、

「いい奴」と「地域貢献」、そして「世界平和」をご一緒に!

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