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【社員インタビュー #10】迷っていたけど、ライクワークがやはり自分に合っていた。

こんにちは。採用・広報グループの三苫です。
昨年始めた社員インタビューも、ついに今回で10回目を迎えました!
記念すべき10回目を飾るのは、コーダーとして入社し、現在はフロントエンドエンジニアへのステップアップを目指す筈井です。社内一フレンドリーで明るい彼女ですが、今に至るまでに苦労もあったようです。今回は、そんな彼女にこれまでの半生を振り返ってもらいました。

名前:筈井 香(はずい かおり)
出身:大分県玖珠郡九重町
入社年月:2019年5月
趣味:海外ドラマ鑑賞、おいしいものを食べること

創作活動に打ち込んだ青春時代

3人姉妹の次女に生まれ、山ばかりの田舎で育ちました。自分が成人した頃に完成した「夢大吊橋」は地元で唯一かつ最大の観光スポットです!

昔からモノ作りやPCを触ることへの関心はあって、小学校高学年でパソコンが導入された時に、初めて触れるその都会的でハイテクな代物に大興奮しました(笑)。中学生になってからも、当時ハマっていた漫画のファンサイトなどをホームページビルダーで作って遊んでいて、サイト用にペイントソフトでイラストやアイコンを作成することが好きでした。

中学生まで学年の全員が幼少期からの知り合いだったので、高校に入り新しい環境で友達を作る方法が分からず、極度の人見知りに悩まされました。真面目かつチキンだったので校則はちゃんと順守しつつも、話しかけると嫌われるのではないかという根拠のない恐怖や見た目のコンプレックスから、他人に目を見られないようできるだけ前髪を伸ばす女子高生でした。
当時は友達がほとんどおらず、学校では美術部でひたすらイラストを描き、プライベートでは中学時代から続いていたサイト運営に力を入れていました。今振り返ると、この時間があったおかげで、自分の好きなことや興味のあることがますます研ぎ澄まされたように思います。

沖縄で人生が大きく動く

高校卒業後は、沖縄の大学に進学しました。当時 BUMP OF CHICKEN が好きだからという単純な理由で入部した軽音サークルや沖縄での生活は、私の人生におけるターニングポイントです。
フレンドリーなサークルの先輩たちや、沖縄の空気感が自然と人への恐怖心を払拭してくれました。いろんな人がいてその個性を認め合う、独りよがりではなくみんなで場を楽しむ考え方があり、毎日楽しかったです。人見知りを克服できたことが嬉しく、自分も還元したいという気持ちから友達100人計画(100人達成はメールアドレスの数で判断。知らない人には自分から話しかける、メールか SNS のアカウントを聞く、名前を覚えるのが苦手なので3回会うまでに覚える)というのを自分に課すほど行動的になりました。
余談ですが、大学時代に友達100人計画を通じて出会ったサークルの後輩が今の夫です。

実は、私は大学卒業の翌日に突発的に珍しい病気を患い、緊急入院した経験があります。
生死をさまよった結果、幸い命は助かりましたが、半身麻痺が残り、しばらく病院での車イス生活を余儀なくされました。入院生活は暇な時間が何よりも辛かったです。リハビリやトイレ以外はベッドから降りてはいけなかったので、それ以来「暇」がトラウマになってしまいました。今では半身麻痺もほとんど目立たなくなるほど回復しましたが、いまだにプライベートや仕事で暇になるとソワソワしてしまいます。

また、病気になる前と比べ、今はできないことが増えて効率が悪くなったことも多く、時々病気になる前の自分との変化に不安になってしまうこともあります。病気になる前の私はどちらかと言うと器用な方で、割と何でも率なくこなしていたタイプだったのに、と思うことが少なからずありました。一方で、間違いなく人からの恩恵を感じられるようにもなったので、それはそれでよかったです。
入院中は自分で身の回りのことが一切できなかったため、周りの手助けなしに生活ができませんでした。看護師さんはじめ、家族は地元から駆けつけてくれましたし、退屈な日々を過ごしていた私を気遣って友人たちが毎日のように入れ替わり立ち替わりお見舞いに来てくれました。退院してからも、周囲の存在は物理的精神的に支えになっていました。ある日杖をついて歩いていてスコールが降ってきた時に、知らないおばあさんが傘を差してくれたこともよく覚えています。自分は周りの人に助けられて生きているんだということを一連の経験で自覚しました。

回り道はしたものの、晴れてデザイナーに

退院後は学生時代のアルバイト先に再び雇ってもらい、昼はアルバイト・夜は友達と遊ぶ生活を最高に楽しいと感じながら刹那的に日々を過ごしていました。ぼちぼち自分の人生について考えようかという感情が生まれた頃、どうせなら好きなことをして食べていこうと思い、昔から好きなイラストやデザインを学ぶために専門学校に通いました。
結局、専門学校で Web デザインを勉強した後も就職はしませんでした。就職活動はしてみたもののしっくり来ない、正社員になっても生活水準が上がらないなら慣れたアルバイト先がいい、何より「楽しくなくなるから趣味は仕事にしてはいけない」「本当に自分がしたいことを仕事にできている人はごくわずか」と思うと覚悟が持てなかったのです。ただ一応勉強はしたので、経験のために軽音サークルの後輩たちからバンドのサイトや販促物の作成を無償でさせてもらうようにしていました。大学時代の友達100人計画が功を奏して色々な人から任せてもらえ、この期間でかなりの量を積みました。

退院から3年が経った頃、夫との結婚が決まり、彼の異動先の関西に私もついて行くことになりました。彼の仕事柄、半年ごとに転勤があり引越しをしていたので、私は短期のアルバイトや主婦業をしながら、合間を見て Web デザインの勉強を続けていました。そのような生活が続いた中、夫が転勤のない会社に転職することになったため、私も地に足をつけて働くべくデザイナーとして入社したのが前職です。

さらなる高みを目指し、フロントエンドエンジニアへ

前職では私しかデザイナーがいなかったので、 Web デザイン、DTP、社内システムの UI デザインなど幅広く経験させてもらいました。 何でも任せてもらえて充実していたのですが、スキルを上げて経験を積めば積むほど、次第に自分の作るものに対して批評をされないことに不安も募っていきました。また、デザインやイラストを考えることよりもそれをコーディングして形にすることが好きだったので、違う環境でフロントエンドエンジニアを目指していきたいと思い、ムーブへの転職を決めました。

ムーブでの直近の私のミッションは「HTML と CSS と JavaScript は当たり前に使えて、フロントエンドに関わる部分のサーバサイドのプログラムについてもちょっとした修正ができるようになる」です。業務をする中でフロントエンドだけではなくサーバーサイドについての理解がないと対応できない、 JavaScript が個人的に難しいなど、一筋縄ではいかない大変さがありますが、入社1年で少し前進できたのではないでしょうか。
具体的な業務について、入社してから現在に至るまでブログサービスの保守・運用案件でフロントエンドを担当してきました。この案件では JavaScript のフレームワークに Vue.js を使用するタスクがあるのですが、私自身 Vue.js は扱ったことがなかったので、最近は他のメンバーに教わったり業務外の勉強で補ったりしながら何とか頑張っています。手が空いた時などには、フロントエンド部分やデザインに関して他のメンバーのお手伝いをすることもあります。

最後に

数年前まで、仕事は「時間の切り売りであり辛いもの」というネガティブなイメージを持っていたので、自分が好きなことを仕事にするとは考えてもいませんでした。今では、すぐに上達できないストレスもありますが、日々新しい発見があり、何かをできるようになることを素直に楽しく思えます。人生百年時代とも言われているので、おばあさんになっても現役で働きたいです!仕事とそれ以外のことを明確に分けるというよりも、人生の一部として趣味でもあることを仕事にするのが自分に合っていると感じるし、できればこれからもそうありたいです。

ムーブについてですが、大人しく控えめながら温かい人の多い会社です。
前職では自分ひとりで仕事を完結させなくてはならなかったのが、ムーブではチームで仕事ができています。いまだにチームで仕事をするにあたり誰かに相談や質問をすることを申し訳なく感じてしまうのですが、メンバーが「何か困ったことがあったら言ってください」とわざわざ口にしてくれてとてもありがたいです。代表やリーダーを中心にお互いの進捗も把握し合っているので、安心感もあります。

私にフロントエンドの技術を指南してくれる方、一緒にムーブでフロントエンドを担ってくれる方をお待ちしています!

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